マー君の言語問題に思うこと2017.06.15
去る6月6日、マー君ことヤンキースの田中将大投手の登板中に投手コーチがマウンドへ向かった時に、通訳者を帯同していたことに対し、テレビ中継の解説者、ジェリー・レミー氏が、「私は通訳のマウンド帯同を、禁止すべきだと思う」と言ったことに「人種差別だ」などの批判が殺到、その解説者は一転、謝罪へ追い込まれました。
試合後のインタビューや記者会見だと質疑応答でどんな質問が飛んでくるかわからず、コメントも長くなるでしょうから通訳が必須だと思いますが、2014年からMLBに移籍し4年目ということから考えると、マウンドでのやり取りくらい英語でできるのでは?と言うのが私の初感でした。
マー君本人は、レミー氏のコメントに対して、「なぜそのようなコメントが出てきたのかわからないが、コミュニケーションを取ろうとする際に、その言葉がわかなければ、わずかなニュアンスが誤解を生むことがある。MLBは通訳者と使うことも認めているので、僕はその恩恵にあずかるだけ。」と反応したそうです。
試合中マウンド上で、どこまで複雑な会話が交わされるのかはわかりませんが、やはり試合の勝敗を左右するような大事な場面で、言葉の誤解が生じるような事態は避けるべきだというのは理解できます。
そう考えると、野球(アメリカ)とラグビー(イギリス)という、同じ英語圏で生まれたスポーツでありながら、そこで使われる言語に対するスタンスの違いを認識させられます。ラグビーでは、レフェリーは試合中英語を話し、反則をした場合なども、レフェリーはキャプテン(と反則した選手)を自分のところに呼んで、英語で説明します。試合前後のインタビューは通訳者を介しても、試合中は日本人選手もレフェリーとのコミュニケーションは英語で行います。
同じ日に、レミー氏と同様の元MLB選手のマイク・シュミット氏が、ベネズエラ出身のオデュベル・ヘレーラ外野手に対して「言葉の壁があるから、チームリーダーにはなれない」とラジオでコメントし、後に謝罪したそうです。
この2つのニュースを読んで、メジャーリーグという野球の世界で、英語でコミュニケーションを取ることを求めるのは、人種差別になるのか?と、私は大きな疑問を感じ、ネットでサーチし、アメリカの記事などを読んでみました。
いずれの記事でも、レミー氏とシュミット氏がプレーしていた頃は12-13%だった中南米の選手が、今では27%以上を占めている(アジア人は、その頃一人もいなかったのが、今は2%)というメジャーリーグの現状を二人はわかっていない。/野球の才能を伸ばすことが大事なので、語学力は求めない。/野球はアメリカがラテンアメリカやアジアに輸出している優れた文化であり、その分、大陸を跨いだ異文化の野球表現が生まれて、話されれば良いといった論調で、多様性が存在し、排他的でなく開放的である野球界では、言葉の多様性があって当然で、あえて英語を話す必要はない、という考え方が述べられていました。
2015年のW杯の後、スーパーラグビーとフランス1部リーグのトゥーロンでプレイしていた五郎丸は今季限りで退団し、ヤマハ発動機に2季ぶりに復帰します。肩の負傷もあったものの、強豪チームでレギュラーに定着できなかったのは、言葉の壁もあったと言われています。練習では、コーチやチームメートとのやり取りは通訳に頼るとしても、試合でピッチに出るとプレーのコールなどは、誰に頼ることもできず英語でコミュニケーションを取ることが必要になってきます。それが難しいと、やはり団体競技では、不利になるのではないでしょうか?
逆に2015W杯で日本代表のキャプテンを務めたマイケル・リーチは、ニュージーランドから日本の高校に留学し、それ以降も日本でプレーをしていて、日本語も流暢です。W杯という大舞台で、レフェリーとの英語のコミュニケーションも問題なくこなせるという点は、彼のラグビーの優れたスキルに付加価値を与えていたのは間違いないと思います。
試合や練習でコーチやチームメートとある程度の意思疎通はできる言語能力というのは最低限必要だと思いますし、ロッカールーム、遠征の移動中、遠征先そしてオフの私生活でも、チームメートとコミュニケーションを取って仲良くやっていければ、プレーにもプラスになるでしょう。「英語を野球の公式語にせよ」とまでは言いませんが、少なくとも『共通語』というものが必要だと思います。
野球やラグビーと言ったスポーツの世界だけでなく、グローバル化が進み、diversity (多様性) とinclusiveness (排他的でなく開放的であること) が尊重される世の中になってきているからこそ、「郷に入りては、郷に従え」ではないですが、外からやって来た人も自分たちの母語も持ち続けた上で、この国ではこれ、たとえば野球界などのこの世界ではこれと言った共通語を定めて、できるだけ通訳などを介さず直接、意思疎通を計りましょうというアプローチが必要な気がします。
ラグビーや野球、サッカー、ゴルフなどあらゆるアスリートが世界に活躍の場を広げています。それぞれのスポーツのスキルさえ磨いておけば、言葉のコミュニケーションはその専門家である通訳がいるんだから任せばいいだけのこと」と考えるのではなく、スポーツの技能に加え、(多くの場合世界共通語の英語になると思いますが)語学力もつけておく必要性を、将来プロやグローバルでのプレイを目指すアスリートの卵たちには感じておいてほしいと願います。
いや、これはスポーツに限ったことではなく、芸術でも、ビジネスでも、アカデミックな世界でも共通している、大きな潜在性を秘めた『プラスα』に違いありません。