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母親の謝罪

2016.08.27

22歳の俳優、高畑裕太容疑者が強姦致傷容疑で逮捕され、母親で俳優の高畑淳子さんが行った謝罪会見が今、マスコミを賑わせています。

 

この謝罪会見の是非に関しては、母親が必死に売り込み、母親の七光りでこれだけの売れっ子になっているようなので、容疑者本人は芸能界での復帰は難しいものの、母親は自分の女優としての仕事のダメージ・コントロールとしてのパフォーマンス的な印象を私は受けました。(映像で謝罪会見を見たわけではなく、文字でニュースを読んだだけですが・・・)

 

日本では事件がある度に、社員が悪事をはたらいた場合には会社が、そして親や家族にその連帯責任を負わすという風潮に対して、私は常に違和感を感じてきました。

 

今回のこの事件の報道の中で、性犯罪加害者の再犯防止プログラムに関わっている精神保健福祉士・社会福祉士の人が、この風潮を説明している興味深い記事『高畑淳子さんを責めても何も解決しない(東洋経済オンライン)』がありました。

 

親と子はそれぞれまったく別個の、独立した人格を持った人間である、という考えが根付いている欧米に対し、日本では加害者とその家族が同一視される傾向が強い

 

本来、加害者家族は責められる対象ではなく、むしろ支援が必要な人たちです。欧米では加害者家族を“Hidden Victim(隠れた被害者)”と呼び、その責任を追求することはありません。

 

やはり欧米の個人主義に対し、日本では社会や家族への帰属意識が高いので、このような状況が生じてくるのでしょうか。

 

「22歳という成人した子どもが犯した犯罪に対して母親が謝罪する」というのとレベルは違いますが、今日考えさせられる出来事がありました。

 

スーパーの棚の前で商品を探していたところ、 3歳くらいの女の子を連れた母親が私のすぐ横で同じように商品を見ていました。すると、その女の子がフラフラとよろめいて、私に当たってきました。

 

即座に私は「すみません」という母親の言葉を期待しましたが、何も言わないので、ジロッと軽く(!)睨んでしまいました。すると、「あんたが勝手にフラついたんやん。私は知らんよ〜」と自分の娘に言ったようですが、これは明らかに私に向けて発せられた言葉のように聞こえました。

 

大の大人が小さな子どもに当たられて、よろめくわけでも、商品を落としたわけでもないので、別に謝らなくてもいいと言えば、その必要はないのかもしれません。しかし、パーソナル・スペースが大事で、満員電車など寿司詰め状態で、他人と体が触れることに非常に敏感な私は、人に当たったり、触れてしまった場合には「すみません」と言うのがマナーだと思いますし、同じ状況の場合、相手にもそれを求めます。このパーソナル・スペースや当たった場合に「すみません」と言うか言わないかは、国、社会、文化によって異なるので、前述の母親は「すみません」と言う習慣はないのでしょう。

 

しかし、ふと頭をよぎったのは、「この母親は、子どもが悪いことをしても、他人に迷惑かけても、きっと謝らないんだろうなぁ。そして、この母親に育てられる子どもも、そうなるだろうな。」という想像でした。

 

悪いことや犯罪ではなく、単なるマナーの違いと言えばそれまでですが、『母親の謝罪』が大きな話題となっているタイミングだったので、「親が謝る」ということについて考えさせられる一件でした。

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