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リメーク版『ROOTS/ルーツ』を観て2016.08.28

黒人奴隷をテーマにした作家アレックス・ヘイリーのベストセラー小説がテレビのミニシリーズとして、1977年に社会現象を巻き起こした『ルーツ』のリメーク版『ROOTS/ルーツ』が8月22日から4夜連続で放送されました。

午後11時から午前1時までの2時間番組ということで、翌朝の起床を考えて録画しておくつもりが、やはり見始めると、毎晩最後まで見てしまい、4夜連続寝不足が続きました。

 

オリジナル版が日本で放送されたのは’78年で、高校生だった私は民放で放送されたの『ルーツ』を毎晩見ながら、黒人奴隷がどのような扱いを受けていたのかを知って衝撃と怒りを感じ、何度も涙を流していたことを覚えています。

 

今回のリメーク版の第一話は、西アフリカの港町ジュフレ村で生まれ育ったマンディンカ族の若者、クンタ・キンテが、140人の奴隷と共に非人間的で劣悪な環境の奴隷船で数ヶ月かけてアメリカに渡り、ヴァージニア州の農園に買われ、奴隷演奏家の教育の下、奴隷として生き延びていくことを学んでいく過程までが描かれています。

 

奴隷船の中で、抵抗や反乱を起こした罰として手足を切り落とされたり、殺される残虐なシーンや、農園から逃亡したクンタ・キンテが鞭で打たれるシーンがあったものの、78年のオリジナル版で受けた衝撃は感じませんでした。奴隷に対し、あのような非人間的なことが行われていたことを初めて知ったのが、オリジナル版『ルーツ』でしたが、多感な思春期、しかもその後、あらゆる側面からアメリカ合衆国への興味や関心を深めていくことになった私の人生のあの時期に、「米国史の暗部」と言われる奴隷の歴史を知ることができ、今更ながらこの小説を書いたアレックス・ヘイリーへ感謝の気持ちを強く感じました。

 

第2話を観る前に、『Making of  ROOTS/ルーツ』ともいうべき、『徹底攻略!ドラマ「ROOTS/ルーツ」の世界』という、リメーク版のキャストやプロデューサーへのインタビューを通して制作の舞台裏に迫った関連番組を観ました。

 

その番組で、製作総指揮はオリジナル版のプロデューサーの息子のマーク・ウォルパーで、共同製作総指揮は、オリジナル版でクンタ・キンテを演じていたレヴァー・バートンが務めていること、また一話毎に監督が違うことを知りました。

 

その予備知識があったからかもしれませんが、第2話は舞台がアフリカや奴隷船からアメリカに移ったという違いもあってか、幾分ドラマのタッチが異なっている印象を受けました。

 

第3話は、父クンタと母ベルから引き裂かれ、トム・リーという白人農園主に売られた娘キジーがトム・リーにレイプされて生まれてきた息子、ジョージが主人であり、父であるトム・リーと闘鶏に傾倒し、無謀な賭けで破産したトム・リーが農園を手放す代わりに、ジョージをイギリス人に売り飛ばすというストーリー。

 

そして最終話の第4話は、イギリスに連れて行かれて20年が経過し、雇い主から解放され自由の身になったチキン・ジョージは、ノースカロライナ州へ売られていった家族の元へ帰る。しかし、再び家族の元を去りメンフィスの有色人種砲兵部隊への入隊を経て、南北戦争が終結。ようやく奴隷解放で自由を手にする。

 

第2話ではクンタ・キンテ、第3話と第4話では、その娘のキジーと、その息子ジョージの苦難の中でも強く生き抜く姿が巧みに描かれており、その力強さに感動を覚えました。

 

このリメーク版では、最新の時代考証が反映され、ロケ現場やセットなどでも最新技術が駆使されているそうです。

 

今回残念だったのは、日頃映画やドラマも字幕版しか見ない私はですが、このリメーク版は二ヶ国語放送だったので、吹替版で観ました。その吹替版で一番違和感を感じたのは、奴隷が主人に対し「旦那」と言う点。英語では”Master”ですが、オリジナル版の時は「旦那さま」だったと記憶しています。現代の日本では「旦那さま」というのはオタク文化で使われるので、あえて「旦那」になのか?しかし、「旦那」というのは、奴隷と主人の上下関係を十分に表していない印象を受けるのは私だけでしょうか?

 

リメーク版を観て、再びオリジナル版を観たくなりました。リメーク版をまだ観ておられない方は、明日29日から放送があります。リメーク版と共に、前述した『徹底攻略!ドラマ「ROOTS/ルーツ」の世界』と『ドラマ「ROOTS/ルーツ」が語る奴隷制の歴史』の両方も必見です。

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