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柔道と金メダル2016.08.13

前回ロンドン大会では、金メダル「0」に終わった男子柔道が、今回リオでは、柔道史上初めての全階級でのメダル獲得を達成しました。

 

女子48キロ級で、日本選手のメダル第1号になった近藤亜美選手は、3位決定戦で勝って銅メダルを得たものの、「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と悔し涙を浮かべたのを見て、「金メダルしかダメ!」と柔道界で異常なまでのプレッシャーをかけられているんだろうな?と気の毒に思っていました。

 

その後も日本の柔道選手は次々に銅メダルを獲っても、うれしそうな表情はなく、違和感させ感じました。そんな中、金メダルを獲ったベイカー茉秋の笑顔での表彰台の姿は、とても自然かつ新鮮で、心からおめでとうと祝福したくなりました。(イケメンという点も、かなり影響してますが・・・(笑))

 BakerMathew

 

そして男子73kg級では、五輪初出場で金メダルを獲得した大野将平が、畳を降りるまで笑わなかったという記事を読みました。

 

 日本柔道界に2大会ぶりに黄金の輝きを取り戻す、感動的な金メダル獲得の瞬間だったが、大野は、ガッツポーズどころか、表情ひとつ変えなかった。ちらっと日本の首脳陣や応援団が集まっている観客席に目をやったが、笑顔はなく厳しい顔をしたまま、深々と礼をして、オルジョフと握手で健闘を讃えあった。

 やっと表情がほころんだのは畳を降りて担当の金丸雄介コーチの顔を見た瞬間。寄せ書きされた日の丸を手渡されると、それをまとって場内を少しだけ歩いた。 

(中略)

「相手がいますから。しっかりと冷静に礼をして降りようと」

 柔道は、スポーツであり、武道である。

 そこには礼に始まり、礼に終わるという精神がある。勝負ごとには勝者がいれば敗者もいる。礼で終わる意味には、敗者を侮辱しない、という武道の精神がこめられている。日本人の持つ思いやりと尊厳の心。

 

敗者を侮辱しないというのは、確かにすばらしい。しかし、勝負に勝って、それを喜ぶことが敗者を侮辱することとは、私には思えません。勝負がつき、「礼」を済ませた後は、それまでの苦しい練習の成果が身を結んだ喜びや、安堵感、優越感を感じて当たり前だし、それを無理に冷静に笑顔もなく、表彰台に上がったり、インタビューに答えている姿は不自然に見えました。感情を表に出さない日本人は能面に例えられたこともありますが、現代の世の中、私たち日本人は日常もっと素直に感情表現しているのではないでしょうか?

 

 現役時代「銀じゃ銅じゃダメなんです」と思っていたという、バルセロナ五輪の柔道女子銀メダリストの溝口紀子さんが、「とはいえこの価値観は、同時に他の銀メダリスト、銅メダリストを侮辱することになることに気付けないから言える事。柔道を引退してしばらく経ったら気づきました」と語っています。

 

金メダルを獲っても少しもうれしそうでない選手というのは、敗者に対する思いやりというよりは、何かまだ不満があるのか?というような印象を世界に与えてしまっているような気がします。

 

能面のような無表情なメダリストよりも、勝った喜びを表現しつつも、戦った相手に対して思いやる姿勢としては、私は大野選手の考え方よりも、ラグビーのノー・サイドのスピリットの方が好きです。戦いが終われば、敵味方の区別はなく、同じ仲間。だから、負けた悔しさも、勝った喜びもお互いに理解できるのでないでしょうか?

WinOrLose

 

銅であっても、それまで勝ち進んできて手にしたもの。東京オリンピックに向けて、まだ若く、現役を続ける選手であるなら、今回金を獲って、その後は防衛戦のような気持ちで競技を続けるよりは、銅や銀メダルの次に金を狙う、という方が選手としてチャレンジ精神を持続できそうに思います。

 

この大野選手の「静けさ」から、日本のテレビの情報バラエティ番組などの選手の報道について書かれている興味深い記事もあります。

 

この記事では、家族のことを話題にしたり、番組のお決まりポーズをさせるなど、「世界トップを極めようという輝かしきアスリートたちを、一般庶民レベルまで引き下ろそうとする圧力。そんな力が日本のテレビ局の中に逆巻いている。」と作家の山下柚実さんは述べています。

 

「2020年の東京五輪までに準備すべきこと。それは、スタジアム建設等といったハコモノ公共工事以前に、スポーツ文化育成やスポーツジャーナリズムの育成、取材側の知識の蓄積、競技についての勉強といったソフト力なのかもしれません。」という指摘には、とても納得させられる部分がありました。

 

8年前に亡くなった私の父は柔道の師範で、長年自宅の道場で門下生に教えていました。大人の門下生に混じって、子どもの生徒も多くいましたが、小学生の塾通いが普及し始めた頃からその数は減っていました。道場を閉める前の10年ほどは、父が教えるより、弟子に任せることも多かったものの、練習を終える時の父の「礼っ」という声は今でも耳に残っています。

 

オリンピックや世界大会で使われだしたブルーの柔道着を受け入れることができなかったことや、外国人選手が試合中、帯から柔道着が出て、お腹をみせながら柔道をとっていることが大嫌いだったことを今でも覚えています。

 

昭和一桁生まれで、負けず嫌いだった柔道家の父が今も生きていたら、メダリストの感情表現やリアクションに対してどう考えるかな?と、日頃以上に身近に亡くなった父のことを思い出すお盆となりました。

 

 

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